次男の運動会

今日は次男の運動会だった。

3回目の運動会、園で最後の運動会だ。

年長さんの競技はいろいろある。綱引き、リレー、組体操・・・そして、メインは鼓隊(太鼓)演奏だ。

太鼓の練習は、今年の1月、まだ次男の組が年中さんの時に始まった。

次男は、この太鼓を始めるのをずっと前から楽しみにしていたので、練習が始まってからは太鼓練習の日をとても楽しみにしていた。

次男だけでなく、他のお友達もみんなそうだったのだろう。みんなすぐに上手になった。

うちは、園の隣なので、太鼓練習の日は音がよく聞こえてくる。親の欲目もあるが、子どもたちはとても上手に太鼓を演奏する。音に乗って、子どもたちの気合も伝わってくる。そんな演奏だ。

年長さんになってから、太鼓で演奏する曲目も増えた。子どもたちはよっぽど太鼓が好きらしく、新しい曲もすぐにマスターしてしまう。聞いていても、音が揃っているのがよく分かる。

そして、いよいよ運動会にむけての練習が始まった。

鼓隊演奏では、太鼓を演奏するだけでなく、太鼓を演奏しながら歩かなければならない。

残暑が厳しい日に、園庭で鼓隊の練習が始まった。

暑い日にもかかわらず、子どもたちは担任である2人の先生方の言うことをじっと聞いている。表情も真剣だ。

最初は太鼓なしで歩くだけ。でも、2-3日すると実際に太鼓をたたきながら歩く練習が始まった。

まだまだ日差しが強く暑い。それでも、子どもたちは黙々と練習している。

こんな暑い中で、子どもたちが真剣に練習に取り組めるのはなぜか。

それは、子どもたちと先生方との間に強い信頼関係があるからだと思う。

灼熱の園庭での練習は、子どもたちにとっても大変だが、先生方にとってももちろん大仕事だ。

当然のことながら、子どもたちは最初から上手にできるわけではない。中には、別のことをしてしまう子もいる。

でも、先生は、そんなときでも子どもに寄り添ってくれる。決して、無理強いはしないし、大きな声で叱ったりすることもない。

先生方の子どもたちのまとめ方が上手なのだ。

以前、夏に園の帰りの会をちょっとみせていただいたことがあった。

先生が「今日、プールでいいことがあったね。なんだったっけ?」と子どもたちに聞いた。

子どもたちが、口々に「○○くんが!」「もぐれた!」と言い始めた。

○○くんとは次男のことなのだが、彼は水がニガテで、顔をつけるのがやっとで、潜るなんてとてもとても・・・という状況だった。

でも、その日はプール最後の日で、彼も思い切ったのだろう。ちょっと潜れたらしい。

私が感動したのは、子どもたちが「自分が・・・だった!」とか「・・・が楽しかった!」と言ったのではなく、自分以外のお友達の成功を自分の喜びと受け取ってくれたことだ。

これは、やはり先生方の子どもたちの促し方が上手なせいだろう。そのことを先生に伝えても「これも子どもたちの成長のおかげです」と言ってくれる。どこまでも謙虚なのだ。

そんなすばらしい先生方の指導により、運動会の練習は着々と進んでいった。かなり難しい曲にもチャレンジしているが、みんなの音はぴたりと一つにまとまっている。日を重ねるにつれてうまくなっていくのが、ひしひしと感じられる。

そして迎えた当日。鼓隊演奏。

本番では、私はぜったいに肉眼で見る、と決めていた。撮影は主人と長男に任せて、私は鼓隊演奏鑑賞に集中すると決めたのだ。

白いベレー帽、赤い上着に包まれた子どもたちが表情を引き締めて入場してくる。どの子もみんな真剣だ。

次男だけに注目していると、不思議と「あー上手に演奏しているなあー」と思うだけだったのだが、他の子どもたち全体を見た時に、こみ上げてきて思わず涙が出てきた。

暑い中、重い太鼓をたたきながら一生懸命に歩く子どもたちの姿。なかなか鼓隊の列に加われない子どもを追いかけながらもやさしく接する先生。目線で「みんな上手だよ。信じているよ」と子どもたちにメッセージを送っている先生。

今まで見てきた練習風景が思い出され、今日はその集大成なのだと思うと、さらに涙が出てきた。子どもたちが互いの心を集中させて、一つ一つの音を作り上げている。その姿がとても頼もしくそしていとおしく見えた。

演奏は、今まで聴いた中で一番すばらしいものだった。みんな力を出し切ったに違いない。そして、本人たちが今日の演奏が一番だったことを体感していることだろう。

本当にすばらしい演奏を見せていただけた。これも2人の先生方のおかげである。子どもたちを信じ、子どもたちを見守り、そして、寄り添いながら導いてくださった賜物だ。

先生方、本当にありがとうございます。

次男が、よい先生方、お友達にめぐり合えたこと、園最後の運動会で達成感を味わえたことを親として非常にうれしく思う。そして、このような縁を授けてくださった神様にも感謝しなければ。

半年後には卒園が控えている。こんなにすばらしい先生方と半年後にはお別れなのかと思うと、今から残念でたまらない。でも、これからの半年も、先生方と子どもたちが楽しく心豊かに過ごせるといいなと思う。

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シェア my イケア (追加)

シェア my イケア に追加で、キッチンと子ども部屋も追加してもらえた。

キッチン

Web

この棚は、アイランド型キッチンの背面にある。

普段使う調理器具や食器、カトラリー類などがここに収納されている。

キッチンで使うものをオープン棚に置いたら、ほこりがつくかな・・・と心配したが杞憂だった。

ここに置くのはしょっちゅう使うものだけ、と決めたので、ほこりがたまる暇がない。それに、ここの家は気密性が高いせいか、家全体にあまりほこりがたまらない。

子ども部屋

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イケアのブランコは子どもたちの大のお気に入りだ。

お友達が来ると4人くらい乗っかって、ぶらんぶらん、と揺れている。

大人だったらすぐに酔ってしまうが、子どもたちは全然平気だから不思議だ。

遊びつかれた子どもがここで寝てしまうこともある。

Web_2

子ども部屋の壁は、子どもたちの作品ギャラリーにもなっている。

お気に入りの物を飾ると、子どもたちも満足する。

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シェア my イケア に掲載!

我が家の洗面所を、シェアmyイケアに掲載してもらった。

洗面所1

Blog

ミラーと歯ブラシホルダー(本当はキッチン用のカトラリースタンド)、シンク下のカーテン(キッチンクロスで作った)がイケアのもの。

洗面所2

Photo

右側のシンクは、イケアのキッチン用シンクなのだが、手洗いの洗濯物をあらったり掃除用の雑巾を洗ったりするシンクとして使っている。

この洗面所の前面のタイルは、2年前の施工時に私が貼った。左側の青いタイルは主人と私のイニシャル、左側の黄色いタイルは子どもたちのイニシャルが貼ってある。

入居後に遊びに来てくれた友人に、
「子どもが増えたら、次はどこにイニシャルを貼るの?」と聞かれ、

もう一人に友人が、
「ほら、ここ(シンク手前側のタイル)に貼るところいっぱいあるよ。これで安心だね」

と言ってくれたことがある。

今のところ増える心配はない・・・

右側の写真は、子どもたちが赤ちゃんだったころの写真を飾ってある。
朝起きたとき、夜寝る前に写真を見て、自分が和むためだ。

怒ってばかりの毎日でも、寝る前くらいは「ああ、かわいいなあ…。そういえば、この頃は…」と癒されながら一日を終えたり、やさしい気持ちで朝を迎えたりしたいから。

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講師デビュー

講師として初仕事をした。整理収納アドバイザー2級認定講座だ。

カルチャーセンターで行ったこの講座は、3人以上受講生が集まらないと開講できない。1週間前まで、受講希望者は2人だった。直前まで開講できるかどうか、分からなかった。

開講されるかどうか分からない講座のために準備したり勉強したり練習したりするのは虚しかった。こんなにがんばっているのだから、なんとか講座を開けるようになりたい!

どうしたら受講生が集まるか、考えた。自分にできることは神様にお願いすることだ。

そういえば。最近、神社の掃除をサボっていた。夏休み前半まではかなり張り切って朝5時半ごろから掃除をしていたのに、最近あんまりしていなかった。

きっとこれは神様に試されているのかもしれない。お掃除を再開して、神様にもっと丁寧にお願いしよう。

神社のお掃除を再開して、毎日神様にお祈りした。子供たちも「お母さんがお仕事できますように」とお祈りしてくれた。

その甲斐あってか(?)受講希望者は5名に増え、開講が決まった。

これでやれやれ・・・と思ったのもつかの間、開講日の2日前から体調が芳しくなくなってきた。のどが痛い。

前日は熱っぽくて朦朧とする。のどの奥の方がヒリヒリすう。横になるが、土曜日のため子供たちがいて、全然休めない。できるだけ声を出したくないと思うが、子供たち相手に声を出さずにいるのは不可能だ。

これは困った。いったい明日はどうなるんだろう?

当日。朝起きるとやっぱり熱っぽい。あー、まったく・・・

体調管理も仕事のうちだと思うと、本当に情けない・・・でもなんとか気合で乗り切るしかない。

「こんなの大したことないさ」「どうせ汗をかくだろうから熱は下がるさ」などと自分をごまかしながら家を出た。

結局、講座が始まると、自分が具合悪いなんて気にする余裕もなく、話はどんどん進み、あっという間にお昼の時間になった。あーよかった。

お昼を終えて午後の部になった。講座はスライドを使っての説明になるため、どうしても部屋が暗くなる。

午後になると、受講生の方々は睡魔と闘いだした。寝ちゃいけない・・・と思いながら必死になってスライドを見てメモをとっている。

見ていてすごく申し訳なくなってきた。私の説明が拙く、おもしろくないせいだろう・・・

なんとか眠気を吹き飛ばしていただこうと、一応声に抑揚をつけてみたりしてみるが、かえってあせってしまって早口になってしまった。余計に分かりづらかったと思う。

なんだかきちんと説明できなくてごめんなさい・・・と思っていたのだったが、最後に実習をしていただいて驚いた。みなさん、ちゃんと講座の内容をしっかり把握されていた。

午前にも午後にも説明してきた内容をきちんと取り入れて、整理収納計画を立ててくださった。眠いながらも必死で知識を取り入れていたのだ。

講座終了後のまとめのテストでも、かなり細かく整理収納の提案事項が書かれてあり、皆さんの高い理解力に圧倒されてしまった。

こんなに熱心に受講してくださるなんて・・・うれしくなると同時に身が引き締まる思いだった。

受講生の方々は、整理収納に関して本当に困っていてなんとかしたいと思っているのだろう。だからこそ、高い受講料を払い朝から夕方までの時間をかけて整理収納について勉強しに来たのだ。

こんなに熱心に聞いてくださる受講生の方々にはぜひ満足して帰っていただかなくては。

人前で話すのはキライ、「先生」と呼ばれるのはもっとイヤ、と思っている私が、講師の仕事をするなんて、未だに自分でも信じられない。

でも、今回の仕事で気づいたことがある。

話をしていて、受講生が「なるほど・・・」「あ、そうか」という表情をしたとき、この仕事を「やってよかった」と思えた。

整理収納で困っている人がいる。なんとかしたい、でもどうしていいか分からない。そういう人たちに「こういう方法もありますよ」「こういう理由でなかなかできなかったのではないでしょうか」と説明する。話を聞いた人が「そうだったのか・・・じゃあ今度はこうやってみよう!」と私の意見を取り入れてくれたら、それこそがこの「講師」の仕事で私が一番やりたかたことなのだ。

自分の知っていることを伝えて、相手が困っていることを少しでも解消できたら、どんなにいいか。

そうなのだ。「伝えること」これこそが私のやりたかったことなのだ、と気づいた。

伝えたい思いだけではダメである。伝える技術をもっともっと磨いて講師として精進しなければ。

初講座は、5名の優秀な受講生のおかげでなんとか成し遂げることができた。

みなさん、最後まで熱心に聞いてくださってありがとう。

ちなみに、講座終了後も興奮していたせいか体調はよかった。

しかし、翌日、熱はなかったがのどの痛みと咳に耐え切れず、お医者さんに診ていただいた。

お医者さんには「寝不足じゃあないですか?それは薬では治りませんよ」と言われた。

確かに・・・先週1週間は父上不在で、講座の準備、練習、神社のお掃除、といろいろあったからかな・・・

次の講座の時には、体調万全で臨みたい。それまでに、私の「伝える技術」も向上させなくては。

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私の三男

以前、お相撲さんで「技のデパート」と呼ばれている人がいた。

それになぞらえて言うなら、三男は「奇行のデパート」だ。

虫を食べる、水溜りの水を飲むなど日常茶飯事だ。最近は、パンツとズボンをはくのをイヤがり、下半身は自然のままの姿で過ごすことが多い。3才にしてちょっとした軽犯罪者だ。

まあこの程度だったら許される範囲だろう。おなかは丈夫に出来ているし、家の前を通る人々もほほえましく見守ってくれている。

困るのは危険を伴う行動だ。

車の通る道を手をつないで歩く。当然、母は道路側で彼は道路と反対側。前の方から車が来て近づいているにも関わらず、母の手を振り切って道路に飛び出していく。しかも、母の後ろ側から。そのすばやいこと。

「車が来てるのに飛び出しちゃだめでしょっ!!!危ないでしょっ!!」と母が怒ると、「だってえ、○×□^#・・・」とわけの分からないことを言ってごまかす。全然反省などしない。

家族でプールに行ったときのこと。父上と次男は流れるプールで遊んでいる。流れるプールのプールサイドに立って私は長男を探す。三男は私の足元にいる・・・と思いきや、待ちきれない彼は流れるプールに片足を入れて、自分でプールに入ろうとしている。もちろん浮き輪もなしでだ。あと2秒気づくのが遅かったら完全に溺れていただろう。

彼は、好奇心の強い子供なのだ。そして、その好奇心をほうっておくことができない。

長男もそうだった。今でもそうだ。今でも、自分が「やってみたい」と思うことは、人の迷惑も顧みずやってみようとする。でも、もう9才。さすがに自分にとって危険と思うことには手を出さなくなった。

しかし、三男は自分にとって何が危険なのか、いまいちまだよく分かっていない。一度危険な経験をする方が良いのだろうか?痛い目にあわせるほうがいいのか?

まだ3才になったばかりの彼がそんな目に遭ったら、私のせいになる。監督不行き届きか育児放棄だ。

家の中にいても、彼は油断できない。

洗濯したナフキンやマスクをとりあえずキッチンのカウンターに置いておく。後でしまおうと思って。そこへ三男がやってきて、わざわざ自分がマスクをしてみたりする。鼻が出ているときは、そのマスクで鼻をふいてしまう。何度洗濯してもマスクはきれいになれない。

食器棚を開けて、中のコップやお皿をおままごとに使う。いちいち1つずつなめたりしてみる。彼が遊び終わるころには大量の洗い物ができる。

まったくもう!彼と一緒にいると気の休まる時がない・・・ことが多いのだが、と同時に癒されることも多々ある。

昼食後に2人で横になって本を読む。本を読むと「おうた、うたって」とリクエストされるので、歌を歌う。「おかあしゃん、だいすっき」と言いながらまぶたが重くなっていく。少しすると寝息をたてるようになる。

この瞬間が私にとっては何事にも変えがたい至福の時なのである。頭のてっぺんは汗をかき、右手の親指をしゃぶりながら、腰から下は自然のままで眠りにつく。汗とよだれと、そしてちょっとおしっこくさいにおいがする。そんなにおいも愛しいと思えてしまう。

今度の3月、三男は入園する。来年の今頃はもうこんな時間は持てないのかと思うと、心から寂しくなる。入園までのあと半年ちょっと。三男とべったり一緒にいられる時間を大切にしよう。

大きな危険に遭うことなく、無事に成長してくれますように。神様に祈る毎日である。

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子どもにいいこと

「子どもにいいから、○○しましょう」 親なら必ず一度は言われたことがあるだろう。

「子どもにいいこと」はいろいろある。

母乳をあげる。布オムツを使う。外で遊ばせる。手作りのおやつを食べさせる・・・

まだまだある。テレビに子守をさせずに本を読んであげる。子どもの自主性を育むため好きなように遊ばせて見守る。頭ごなしに叱りつけるのではなく目を見ながら言い聞かせる・・・

「子どものために・・・しなさい」と言われるたびに逆に問いかけてみたくなる。あなたはどのくらい「子どもにいいこと」を実行していますか?

「子どもにいいこと」のほとんどは、母親に負担のかかることである。

母乳にしろ布オムツにしろ、手作りおやつにしろ、読み聞かせにしろ、お母さんは全部一人でこなさなければならない。

アドバイスする人は、もちろん親切で言っているのは分かる。「私は母乳と布オムツで育ててよかったから、あなた達もやってみなさいよ。」というつもりだろう。

しかし。お母さんたちが聞かされるのは母乳と布オムツの話だけではない。「母乳と布オムツさえなんとかやっていればいいのよ」なんて言われるわけではない。

これに加え「子どもを外で遊ばせなさい」「毎日本を読んであげなさい」「工夫して野菜を食べさせれば?」「おやつはやっぱり手作りが一番よ」

アドバイスする方は自分がよかれと思うことを伝えている。それは分かる。しかし、受け止めるお母さんにアドバイスしてくれる人は一人ではない。いろいろな人がいろんなことを言うのだ。

それらの人たちの言うことを全部取り入れようとしたらどうなるか?

2-3時間ごとに母乳をあたえ、一日20回ちかく布オムツを替え、子どもが起きている時には外に遊びに連れて行き、本を読んで寝かしつけた後にはおやつを手作りして・・・

相手が子どもが一人でも大変な負担だ。しかも二人以上いたらどうだろう?

赤ちゃんにおっぱいをあげながら上の子に本を読んであげ、オムツを替えてあげながら上の子にはきちんと目をみて対話してあげる。子どもが便器に手を入れても「やりたいことはやらせてあげよう。」と温かく見守る・・・

あまりにも非現実的、不可能だ。アドバイスの通りにしていたらお母さんは参ってしまうだろう。

でも、「子どもにいいから」と言われると「やらなきゃ」と思うお母さんはたくさんいる。

真面目なお母さんほど「子どもにいいこと」を取り入れようと思うだろう。でも、それは「お母さんにいいこと」なのだろうか?

「子どもにいいから・・・」はお母さんを呪縛する。「子どもにいいんだったら早速やってあげなきゃ」とお母さんは思う。「あれも、これも、かわいい我が子にみんなやってあげなきゃ・・・」

お母さんに良かれと思って言っている言葉でも、実は二律背反になっていることを知っている人は少ないのではないかと思う。

アドバイスする人はどの程度この「子どもにいいこと」を実行しているのだろうか?いつも疑問に思う。複数の「子どもにいいこと」を同時に取り入れることがお母さんの負担になることに何故気づかないんだろうか?

アドバイスするのがいけないわけではない。決してそんなことはない。でも一言付け加えて欲しいのだ。

「○○は子どもにとってとてもいいことなんだけど、お母さんの負担も大きくなるからできる範囲で取り入れてね」

経験した人なら分かるはずなのだ。「子どもにいいこと」がどれだけ大変なのかが。でもそれだけの価値があるよ、ということも忘れずに伝えて欲しい。ただ単にお母さんの負担を煽らないよう気遣って欲しいと思う。

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長男の誕生日プレゼント

長男は先月9才になった。

長男の誕生日は神社のお祭りの日なので、いとこ達も集まってみんなでお祝いする。おばあちゃんも同じ誕生日なので、毎年お祭りで忙しいさなかに2人のお祝いをする。

忙しくてバタバタしているからか、みんなで盛大に祝うせいか、数年前から「これ」というプレゼントを用意していない。

お祭りのときにおばあちゃんが出店に連れて行ってくれて、何か好きな物を買ってくれるので、それが誕生日のプレゼントになっている、ということもある。

とりあえず、私は、去年は着古したジーンズで作った帽子、今年は撮り溜めて整理していなかった写真をなんとか形にしたアルバムをプレゼントにした。

本人はもらったときは「わーい。ありがとう!!」と言って一応喜んでいたが、そのときだけで、あとはその存在すら思い出せないらしい。

まあそれでいいと思う。アルバムなどは長男のためというより、自分のために作ったのだから。

子どものプレゼントにはいつも悩まされる。何かその時に欲しがりそうなおもちゃを買ってあげるのが親にとっては楽なような気がする。

でも、おもちゃはすぐに飽きることを知っている。だから安易に与えたくないのだ。

私達が、息子達におもちゃを買ってあげることはまずない。父上は、たまに出張のおみやげにレゴを買ってきたりしているが、私は絶対にしない。

だから、子供達もおもちゃをくれるのはサンタさんだけだと思っている。今年は、長男がおじいちゃんとおばあちゃんからレゴのセットを買ってもらったので、次男と三男も自分達の誕生日にもおじいちゃんとおばあちゃんにはおもちゃをねだってもいいんだ、と思っているらしい。

でも、親に買ってもらおうとは思っていない。

欲しいおもちゃができると、彼らは、まず自分のお小遣いで買えるかどうか考える。

足りないことが分かると、どれだけ足りないかを計算し、その分を神社での仕事をすることで賄おうとする。

でも、結局神社での仕事で賃金を得るまでもなく、興味が薄れていく。

そうなのだ。子どもの興味は長続きしない。

先月、おじいちゃんとおばあちゃんから、長男に「プレゼントに何か買ってあげる」と申し出があったとき、彼にはとても欲しいものがあった。

鉄道模型だ。

プラレールのような、子どもと対象としたおもちゃではなく、精巧な作りのれっきとした大人の趣味の模型だ。

私は反対した。長男に使いこなせるとは思えなかったからである。

とても精巧なつくりのためデリケートでもある。だいたいどこに保管しておくのか?それに、三男がいじったら一発で壊れる。三男の届かないところにいちいちしまって管理できるのか?

それに、模型(ジオラマ)を揃えようとしたら、すごくお金がかかる。

これは大人の趣味なのだ。自分でお金を稼いで好きなことに使える大人、自分の物は自分で責任を持って管理できる大人、そういう人が使ってもいい物なのだ。子どものおもちゃではない。

私の意見を伝えると、長男は考えに考え、結局はレゴのセットを買ってもらうことにした。

買ってもらって長男は喜んだ。しかし、一度組み立てると、もうそれでは遊ばなくなった。

だからイヤなのだ。おもちゃを与えるのは。

鉄道模型の話も最近しなくなった。なんだったのだ。あの熱心さは。

子どもへのプレゼントは難しい。もうすでに何でも持っているのに、なぜこれ以上必要なのか?子どもにこれ以上物を与えることが、本当に本人にとって良いことなのか?考えてしまう。

でも、子どもだって誕生日にプレゼントをもらえればうれしい。逆に言えば、何もなかったら淋しいだろう。

子どもにとって必要で、子どもが喜んでくれて、金銭的な負担の少ないもの・・・そんな都合の良いものはなかなか思い浮かばない。

「物」にこだわらず経験や特別な時間でも良いのかもしれない。要は、本人が誕生日という「特別な日」に特別扱いされてうれしいと満足してくれれば良いのだ。

8月には三男の誕生日が待っている。今年の長男の誕生日を教訓に、今から作戦を練っておかなくては。

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うつ

今回のうつは長かった。やっと抜け出せた、気がする。

今年になって、整理収納アドバイザーの資格も講師の資格も取得できて、さあこれからこの資格で仕事をしよう!と思っていたのに、とにかくやる気がわかない。

やる気が出ないだけでなく、だんだんと人に会いたくなくなってくる。なるべく人と会わないようになる。そのうち、メールのチェックもしたくなくなってくる。

そんな混沌としてる時に、東北で大地震が起きた。

友人の家族が被災した。首都圏に住む友達も被害を受けた。

新聞やネットでは信じられない信じたくないような被害写真が載っている。

記事を読むたびに涙が止まらなかった。自分が普段と変わらない生活をしていることに腹が立ったり、何も出来ないことが情けなかったり、身の置き所がなくてどうして良いか分からなかった。

一方では、被災しても挫けずに懸命に立ち直ろうとしている人たちがいる。過酷な状況の中でも、自分以外の人たちのために尽力している人たちがいる。私と同じように、全く普段と変わらない生活をしながらも、自分にできることを探して少しでも力になろうとしている人たちがいる。

それなのに、私は何なんだ。何もしてない。なのに、泣いたりして。

眠れない、眠るのが怖い、吐き気がする、息苦しい…自分でもどうしてよいか分からなかった。とにかく、誰かに話を聞いて欲しい。でも、誰が私の話なんか聞いてくれるのだろうか?

こんな中での救いは子ども達だ。子どもたちがいるからこそ、私には毎日たくさんやることがあり、そうそう一人でイジイジ悶々と思い悩んでもいられない。それに何より子ども達に癒されることも多い。

しかし、24時間365日子どもと一緒にいるから休めない。休めないからうつになるというのも事実だ。4年前に心療内科を受診した時に「過労だから子供を預けて休みなさい」と言われた。でも、子どもを預けられなくて休めないから疲れてしまうのだ。子どもを預けて休むことが出来ていれば、受診などしない。

結局は、いつも回復する時期が来るのを待つくらいしかできない。でも、こんなふうに前に進めない時を経験するたびに、同じような経験を持つ人に共感できるようになるのではないか、これもまた良い経験なのだと思う。

暑い夏が来ると、また疲れてやる気が出なくなってしまうかもしれない。特に、夏休みは子ども達兄弟まとめて一緒にいるので、イライラも倍増する。それまでの間に、やりたいこと&やろうと思っていることをどんどんやっておこう。とりあえず、今、やりたいことがたくさんあって少しずつ前に進もうとしている自分は楽しい。この時期を大切に過ごそう。

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猛獣使いの家出

分からない。どうしても分からない。

子ども達は、なぜ「いけない」と言うことをわざとやるのか?

わざとやっておいて「なぜやったの?」と聞くと「ついやっちゃったの」といつもいつも言うのはなぜか?

「ごめんなさい。もうしません」と言いながら、5分後には同じことを繰り返すのはなぜか?

さっぱり分からない。

週末、子ども達の朝はケンカで始まる。

「お兄ちゃんが取り上げた!」「ぼくが何にもしてないのに蹴ってきた!」「それ、ぼくが使おうと思ってたのに横取りした!」

ケンカのネタは尽きない。何をしててもケンカになる。

いちいち訴えられても、こちらも腹が立つだけだ。

本当は放っておきたいところだがそうもいかない。ストーブの前でケンカが始まると、ストーブに向かって倒れこんだりしてくる。怖い。何かあったら何にもしていない私の責任だ。

もうこんな家ヤダ、と思う。叫んだり喚いたりする人のいない静かなところに行きたい・・・

週末のある日、とうとう私は我慢ができなくなってしまった。

「もうイヤだ!お母さんはこんなうるさい家はイヤだ!出て行く!!」と捨て台詞を残し、大股で玄関の扉を開け、バーンと閉めて外に出た。

・・・外に出たのは良いが、誰も追ってこない。

おかしいなあ・・・ここで「お母さん、行かないで!」とすがってくれないと、私は帰れない。

家出をしたのだから、すぐに帰ってはいけない。でも、行くあてもない。

仕方がないから、神社に行く。そして、家の方を眺めて、息子達の誰かがお母さんを探しにでてくるかもしれない、と待ってみる。

誰も出てこない。

さて、私はどうしよう。

母なしでやっていけるのか????追いかけなくて良いのか????

これは困った。帰るに帰れない。

家の中で、彼らがどうしているのか気になる。

まさか「お母さんはそのうち戻ってくるから、本でも読んで待っていよう」なんてのんきに本なんか読んでないだろうな・・・

彼らがどうしているのかすごく気になる。でも戻れない。

なんとか戻る口実を探さなくては。

ああ、そうだ。お財布を忘れたと言って戻ろう。ついでに、車で出かけちゃうよ、と言えば、遠くに行く感じがして、さすがに追ってくるだろう。

戻ると3人息子はしょんぼりしていた。でも、母が「もう戻ってこないんだ!車で言っちゃうからねっ!!」と言って玄関に向かっても、

「え・・・・?」「やだ・・・・」と言ったきり、母を見送っている。

車に乗ってエンジンをかけたはいいがどこに行く?

仕方がないから、家の裏に車を停めて様子をうかがう。

玄関から飛び出して「おかあさ~ん!」と探す様子はない。

も~!いったい私はどうしたらいいの??私が一番ばっかみたい!これじゃ家に入れないじゃない!

なんとか、自分がみじめでないように帰れないものかと知恵をしぼった。

そうだ!今日は父上が早目に帰ってくるから、やっぱり父上が帰ってきてから家を出ることにした、ということにしよう。でも、ここで父上が「お母さんは出て行くんだって。見送ろう」なんて言ったらどうしよう・・・

でも、とりあえず打ち合わせなしでも父上が母に合わせてくれることを期待して家に戻った。

やがて帰ってきた父上は「お母さんに迷惑をかけたことをみんなで謝りなさい。これからどうしたら迷惑をかけないようになれるか考えなさい」と言ってくれたので、なんとか母の面子を保つことができた。

よかった。だてに11年も夫婦をやってるわけじゃなかった。打ち合わせなしでもなんとかなった。

それにしても、彼らはなんで母が怒ったのか、いまいちよく分からなかっただろう。自分達はフツーにしているつもりなのだ。でも、「ぼくが一番だよ」「ぼくがやる!」「ぼくが先だよ!」のオンパレードでケンカが始まり、引っかく、噛みつく。負け犬は「うわーん!」と泣きながら母にしがみついてくる。ご飯を作っていようと掃除をしていようと、母にしがみつき、自分の言い分を聞かせ抱っこしてもらわないと気がすまない。

こんなことが1日中繰り返される。母は何もできない。ただ、ただ、イライラするだけだ。

だから、こんなケンカが繰り返される家から逃げたかったのだ。こんな気持ち、この子達とこの家にいることのない人には分からないだろう。私だけの気持ちなのだろう。

数日後、私はインフルエンザの刃に倒れ、二階の部屋で伏せっていた。

父上が夕食の支度をしてくれたのだが、子どもたちがまたまた「ぼくが、ぼくが」攻撃しながらケンカを繰り広げている声が聞こえてきた。チャーハンを作っている父上に、「ちちうえ、きいてよ!」「僕が最初に使ってたんだよ!」「何にもしてないのに噛まれた!」などと、3人同時に泣き叫びながら訴えている。

あー始まっちゃった。申し訳ないな・・・と思うと同時に、父上だって親なんだから、この状況を経験すべき。いい機会だ。な~んて思ってしまった。

それでもご飯ができてから「ごめんなさい。子ども達、大変だったでしょう?いつもこんな感じなんだよ」と言うと、「ああ、君はまるで猛獣使いだな」と父上。

そうそう!猛獣使い!大変なんだよ・・・家出したくなったでしょ?

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冬休みの子ども達

やっと3学期が始まった。

冬休み、長かった。

例年、冬休みは私と子ども達だけで過ごす。

父上は、とてもとても忙しいので、ほとんど顔を合わすことができない。お休みなんてもってのほかだ。

冬休み中、子ども達は朝から晩までケンカしていた。

「僕のほうがここに座ろうと思ったのに、先に座ったなっ!!」

「このおもちゃは今から僕が使おうと思ってたんだから、触るなっ!!」

だいたい、こんな感じで、お兄ちゃんが弟に怒る。

だから、三男はいつも迫害されている。

しかし、彼は黙ってやられているわけではない。髪の毛をひっぱる、ひっかく、かみつく・・・自分にできるあらゆる手段を使って応戦する。

もうこうなると、動物のケンカと一緒である。

そして、誰かが泣き出し「おかあさ~ん!」と言いながら泣きついてくる。

朝から晩まで、もううんざり。

私もイライラしているので、言葉にトゲが出てくる。

食事中も「ほら!早くたべなさいよっ!!」と言おうものなら、

「あっかんべえ、あっかんべえ、あっかんべえ・・・」と三男が、母のほうを向いて両手でおもいきり自分の目を引っ張って見せる。

(あー、もー、ひっぱたいてやりたい)

こぶしを握りしめて煮えたぎる思いを鎮めようと懸命になる。

それを見て長男が「ほらほら、見てごらん。お母さんの顔色が変わってきたよ。そろそろ堪忍袋の緒が切れるよ」などとのたまう。

(なにを!!もう、3人ともストーブの中に入れてやりたい)と、ぼんぼん燃えている薪ストーブを見ながら思う。これでは、ヘンゼルとグレーテルの魔女ではないか。

思えば、去年の夏休みもこんなだったのだ。夏休み中は、今以上に長く、そして暑かったので、自分を見失いそうになった。

よかった。冬で。それに、夏休みに比べれば、期間も半分以下だ。

冬休みがあけ、三男と2人きりになった途端に三男がかわいくなった。

トイレにつれていくタイミングもばっちり。ほとんどオムツを濡らすことなく1日過ごせた。

余裕、って大切なんだ・・・しかし、過ぎてみると、やっぱり子ども達にはかわいそうなことをした。わけもなく(わけはあるんだけど)イライラして、八つ当たりしたりして・・・

でも、お母さんだって1人しかいないんだし、大変なのよ。あなた達は、ちっっっとも母の言うこと聞いてくれないし。

自分と子ども達だけで過ごす時間が長くても、余裕を持って子どもと接するにはどうしたらよいのだろう・・・?今の調子だと、今度の夏休みがこわい。

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